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 五木寛之氏の講演を拝聴する機会に恵まれまして、早速出かけて参りました。私は、五木氏の著作は、「蓮如」と、朝日新聞に連載されていた「百寺巡礼」と、雑誌等にたまに掲載されるエッセイくらいしか読んだ事はないのですが、その数少ない読書経験は全て私を満足させるものでしたので、かなり楽しみに、待ちに待った講演会でありました。色々な講演を拝聴しますが、五木氏の講演は最近の講演会の中ではピカイチ、待った甲斐が有ったというものです。氏の期待に違わぬ博覧強記ぶりと、ともすれば難しく深刻になりがちな話題を、笑いを散りばめながら話される氏のユーモアのセンスには感服してしまいます。
 話し自体は、取り様によっては凄くネガティブな内容。“躁”の20世紀が終わり、現在は“鬱”の時代に既に入っている。戦争すらも、爆弾を落としながら敵味方がはっきり分かれてするような“躁”の戦争ではなく、アルカイダのように何処に紛れ込んでいるのか解らない、対テロリストの“鬱”の戦争。経済も、右肩上がり、対前年比何パーセントアップという“躁”の指標で論議するのではなく、対前年縮小状態で維持していく事を眼目とする“鬱”の経済学が生まれなくてはいけない。個人も同様。“鬱”の人生を生き抜く気構えが必要なんだとおっしゃられていました。
 但し、氏は決して“鬱”はマイナスな事ではない。“鬱蒼”たる森とか、“鬱然”とした思いに駆られるとか、物事の勢いのよい盛んな状態の表現にも使う。鬱々たる思いというのは、他者を憂う思いと、自身を愁える思いが重なり合って心に蓋をしてしまい感情が外に向えない状態になってしまう。そんな、優しい気持の現れが鬱々たる想いになっていくんだとの事でした。
 冬の兼六園の松は雪吊が必要なように、硬い松の枝は雪の重みに耐えられません。竹は幹を撓らせながら雪を振り落とし、再び竹自身はすっと立つ。硬い脆い心は“鬱”の時代を生き抜いていけない、しなやかな、たおやかな心が必要なんだとおっしゃっておられました。
 悲しい時には、竹や柳が撓るように、大いに嘆き悲しみ大声で泣けばいいんだと。笑う事も大事だけれど、泣く事も同じくらい大切な事なんだと。
 そんな事を、信じられないけれども、爆笑の渦の中で話されていました。五木寛之氏の話しは、心に沁みますね。
 11月26日生まれ
ティナ・ターナー(歌手)、神田紫(歌手)、下条アトム(俳優)、船戸順(俳優)、麻生かおり(女優)、カルーセル麻紀(タレント)、大野智(嵐 タレント)、樫尾忠男(経営者)、ブライアン・リー(プロレスラー)、ブラックジャック・マリガン(プロレスラー)

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2008年08月19日(火)18時03分 受信